校長のつぶやき(38)英語教育もICT環境も、学びのためのインフラです


掲載日:2020.01.16

手前味噌の話をさせていただきます。最近、本校の英語教育と生徒一人一人がパソコン持っている環境についての質問を受けることが多くなりました。

典型的な質問は、英語の場合は、「英語教育に力を入れていると聞いていますが、他校とどのように違うのでしょうか。」単純な答えとしては、「他校と全く大きく違うのが中学1年から高校1年までの4年間で、他校に比べて特徴があると言えるのが高校2、3年。」ということですが、詳細は省略します。それではICTの場合。「生徒は、持たされたパソコンでゲームをやりませんか。それでいいんですか?」という…なんだかショッキングな質問です。思わず逆に「やらない子どもはいますか?大人にもやる人いっぱいいるじゃないですか。それが問題ですか?」と答えたくなりますが、では何故持たせたのか? YouTube映像をご覧ください。

ICT環境については、2015年4月、全教科の全教員が授業で端末を何らかの形で活用する!として、電子黒板を使う環境にしました。それから3年、いろいろと研修を重ねてきました。

一人一人に持たせるとしたら…どのように授業で活用するか、どうやって家庭学習で欠かせないツールとするか、どんな風に生徒の学習状態を把握して助言に活かすためのツールにするか、最後には生徒に何の機種を持たせるか…。そして所持する上でのルールは…。
2018年に中2から高1の全員が所持。2020年は2学期からいよいよ中1生も持ちます。これで全生徒に導入完成です! 六浦は堅実な導入プロセスを踏んできました。

英語の運用力もICTの活用力も、基本的に学びのためのインフラでしょう。校長として、英語は生きる力、英語学習は英語の学習ではなく生きる力の学習、すなわち自分を生かすための「コミュニケーションツール」の習得なのだと、そしてICTは、自分を生かすための(社会の)情報や(人間の)知を集めて利用する力、すなわち自分を強化する「パワーツール」なのだと教職員と生徒に語ってきています。ですから、六浦が「英語教育に力を入れている」とか「ICT 環境が整っている」とか云々…という評価は嬉しいのですが局面的な見方に過ぎなく、むしろ「それでどうしているの?それで何を勉強しているの?」と訊ねられたい、これが本音です。

日本の近未来、日本の社会は国内の地域環境や就労環境は間違いなく、「多文化共生」の様相になるでしょう。しかし、多文化共生的な社会構造を持つ国々を訪ねてみると決して「共生=融合」でも、「共生=融和」でもない。多文化共生とは、コミュニティでは共通のスペースで共通のルール下で一定のテリトリーを互いに持ちあっての「共住」であり、就労では国内外に広く繋がる「協働」と「競働」でしょう。そこでのツールが英語にICTです。これからの学びは、そんな未来への備えをする学びだからこそ、英語教育もICT環境も、学びのためのインフラであると言えなければならないでしょう。