校長のつぶやき(37)3学期始業式メッセージ「新しい革袋で」

掲載日:2020.01.14

今日から3学期です。新しい一年の始まりと重なりますが、3学期は今の学年でのまとめと次の学年に向かう準備の時です。今日は、そのことをイエスの言葉を聞き考えてみたいと思います。

イエスが語る「新しいぶどう酒は新しい革袋に入れなさい」は、新しいことをするには、新しい形、新しい仕組みで実行することが必要だということの喩え(たとえ)です。古い考え方で新しいことに向かおうとするのではなく、古い考え方を捨てて新しい考え方で向かうことの必要が語られています。

イエスの時代、この喩え話は、生活に根付いた分かりやすい話だったでしょう。ぶどうから絞った果汁は革袋で保存していました。革袋の中で果汁は醗酵してぶどう酒に変わっていきます。発酵すると炭酸ガスが出ます。革袋の中の果汁はぶどう酒に変わっていきますが、革袋はガスで膨らんでいきます。革袋は子やぎの革製です。新しい革の袋であれば柔らかく伸びがあり、膨らんでも破れない。しかし、使い込んだ古い革袋だと伸びが悪い。発酵で発生する炭酸ガスで膨らむと、縫い目やつなぎ目、革の弱い部分で袋が裂けてしまうこともあるということです。

私たち自身も同じでしょう。新しいものや新しいことを始めようとする時、自分たちが「古い革袋」のままであったら失敗してしまうことが多いでしょう。新しいことに向かう時に、古い気持ちのままで新しいことに向かうことの危うさです。しかし、人間の心は革袋とは違います。変わることができます。自分で新しい革の袋に変わることができます。ですから変わるべきなのです。しかし、そこには決意が必要です。自分で自分に責任を持って、新しいことに向かう自分の心を新しく変える決意が必要です。その決意があって初めて、自分の行動や自分の考え方を本当に新しく変えられます。

クリスマスのメッセージでイエスの誕生の意味が語られました。聖書の中の「新しいぶどう酒」とは、キリスト、イエスが新たに語る「神様からの愛」です。あるいは、「神様からの愛」を伝える「イエス自身」です。そして、「新しい革袋」とは、それを受け止めるべき私たちの新しい気持ちです。では、「古い革袋」とは何か。それはイエスが現れる前の、それまでの社会の伝統、ルール、人々の気持ちや行動を縛ってしまう「慣習」や「権益」へのしがみつきでした。古い慣習と制度への固執で、イエスを通して与えられる神の愛が理解できない。その悲劇をイエスはあらかじめ同時に背負って生まれてきたのです。六浦版、中学生の降誕劇での十字架行進の深い意味です。

私たちの日常も同様です。何か今までと違うことを始める。何かよさそうなことのようだけれど、誰もそれを証明していない。分からない。とすると、とりあえず、今までの「仕組み」や「習わし」の中で、つまり「古い革袋」の中でそれらを受け入れて試す…ということが多いものです。あるいは、新しいことは大抵面倒なことが多いので積極的には臨まない、ということも多いでしょう。しかし、それでは新しいことが失敗してしまう。「古い革袋」では破れてしまい、新しいことを受け止められない、ということを考えたい。

グレタ・トゥーンベリさんを知っていますね。16歳のスウェーデン人の一女子生徒。環境保護活動家と呼ばれるグレタ・トゥーンベリさんが昨年9月、ニューヨークで開かれた国連での気候変動に関するサミットで行った演説は、大きなニュースになりました。気候変動問題について行動を起こしていないとして各国首脳を強く非難しました。気候変動の原因となっている二酸化炭素の排出を抑制することが必要だと分かっているのに、つまり、このことが新しく取り組まなければならないことなのに、誰も動こうとしない、何も動かそうとしない。どの国も今の仕組みで経済活動を優先としているということへの批判と嘆きでした。これも私たちが「古い革袋」であるということと同じでしょう。

長い歴史や伝統の中で知ることとして、人の社会は「制度」だとか、一度「決め事」や「規則」、「法律」を決めると長いこと変わらない。今、行われているやり方を変えることが難しいということです。変えることが難しい理由には、変わることで大きく損をする人々と得をする人々がそれぞれ生まれることから、権益に群がる人たちが変えたがらないという大きな理由があります。
これを人、個人で言えば、馴れ親しんで習慣として染みついた「こだわり」だとか、疑うこともなく持つ固定観念、易しく言えば、「こうしてきた」、「これが当然だ」とする「考え方」に囚われがちだということです。あるいはまた、損をするかもしれないことをしたくない。損ではないけれど、変えるための新たな努力が面倒だと思う気持ちもあるでしょう。変えること、変わることを嫌がることが少なくないでしょう。社会や人々は「古い革袋」になってしまいがちなのです。

3学期です。
日々、するべきことをしながら、同時に次の学年に備える学期です。新しい気持ちで歩み出す学期なのです。しかしこれは、何も勉強の事だけではありません。誰もが心の中に大なり小なり悩みを持つものです。私もそうです。今、何かに悩んでいるのなら、この悩みも新しい観点で、古い観点に囚われずに眺めることもが大事なのです。そして眺めるだけではなく、新しい革袋に入れてみることでしょう。6年生は既に進路を決定した人も多くいますが、卒業を控える3学期は人生の節目として、これからの時代に生きる自分の人生と新しい革袋を求めてほしいと思います。

「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」

マタイによる福音書 第9章17節