校長のつぶやき(46)2学期始業式

掲載日:2020.08.28

8月24日(月)、2学期の始業式を行いました。
全校生徒が集うスタイルでは行わず、生徒たちは各クラスで視聴するライブ配信の始業式でした。

以下、校長メッセージです。

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一ヶ月ほど前、梅雨明けの間際、大雨による災害のニュースで心を痛めました。先週は、猛暑、最高気温の記録更新などのニュースが続きました。そして、局所的な短時間集中豪雨も普通のことのようになってきました。被災地では、当然ながら物理的なダメージと精神的な大きなショックで、その日を生きることで心がいっぱいになっている人も多くなっていると聞きます。
本当に苦しいことが続いています。今年は言うまでもなく、新型コロナウイルス感染者の増加で始まり、感染の拡散と年代の広がりへの脅威が高まってきています。また、この暑さで熱中症も多発していますが、新型コロナウイルス感染症の初期症状との見分けが難しいというニュースも聞こえてきています。

二学期の開始に当たって、皆さんに対しては感染予防の対策への協力を強くお願いしています。熱中症予防もコロナ予防も皆さん一人一人が油断せずに真剣考え、真面目にお互いに協力することが大切です。全国をみれば学校での集団感染のニュースもあります。これには防ぎようもない仕方がないこともあるでしょう。しかし、注意です。手洗いです。学校を止めたくありません。皆さん6年生のことを思ってください。ただでさえ色々な大会や活動が中止され、深い勉強の機会も薄くなっていますから。特に、六年生のために学校を止めたくありません。六浦はon-lineが整っている、とは言っても、しっかりと学校を維持することが何よりです。自粛警察はいりませんが、お互いの心がけです。始業式をこんな話で始めなければならない程、日常はこれまでにない不安に取り巻かれているということです。皆さん、協力をお願いします。

そうした中、短い夏休みでしたが一方で、広島に原爆が投下された8月6日、長崎への投下の8月9日、そして日本がポツダム宣言を受諾し敗戦降伏をした8月14日と、その翌日に天皇が「戦争を止めます」と国民に告げた、一般的に「終戦の日」と言われる8月15日が過ぎていきました。
災害とコロナのこと、勉強や再開された活動の安全のことに全国民の心が引き寄せられ、戦争がどうだったのかということをあまり深く意識することなかったのではないかと感じました。カレンダーに張り付けられている行事のように、「今日は何の日ですよ」という程度のアナウンスで流れていったのではないかという感じを、私は強く持ちました。75年前ということで、四半世紀3度目の夏なのに…という私の思いがあったからでしょう。

75年も前のことです。その経験を語れる人たちがどんどん亡くなり、忘れ去られる昔のある出来事のようになりつつあります。若い皆さんには全く実感を持って感じられないことでしょうが、これは、感じなくてはなりません。
何事もそうです。あることを自分と関係のない過去のこととして、自分と切り離して物事を眺めはじめると、その中にある、私たちもしてはいけないこと、繰り返してはいけないと学ぶべきこと、そう感じることさえ無視するようになるからです。

今年、私は何とも言えない危うさを感じました。世論、社会人々考え方の形成に大きな影響力を持つ全国紙としての朝日新聞、8月6日の朝刊の第一面の構成と記事内容です。紙面構成は大きく、原爆とコロナ関連記事、そして衆議院議員選挙の格差の記事でした。広島の原爆被爆については、「被曝75年、草木は生えたが」で、写真を含めて6段の記事でした。風化することを認める内容ではありませんが、紙面の3分の1程度。そしてコロナに関する記事の見出しが、「帰省一律自粛求めず」「九州・沖縄の感染増 顕著」で6段。同じ程度の紙面の広さを占めていました。

もうひとつ全国紙を取り上げてみます。毎日新聞は第一面では写真を含めて7段。構成は二つの記事で、もう一つの記事はやはりコロナ関連でしたが、それは広島原爆記事の4分の1でした。見出しの「被爆体験 継承は責務」という記事の中では、今の社会を眺めてこう述べられていました。
「国や民族による対立や分断、憎悪の空気が漂い、『新冷戦』という言葉まで登場するに至っては、平和がきしむ音は高まるばかりだ。歯止めが利かなくなった争いの果てに広島、長崎の破壊があることを想像すれば、これからも被爆地から世界に「過ちを繰り返すな」と警告を発し続けなければならないと分かる。」
また、こうも書かれていました。
「次の四半世紀が経つと被曝100年になる。被爆者がいなくなる時代にも被曝の実相を伝え続ける意義は変らないはずだ。」
そう論じて、記事は、ではそのために今やらなければならないことは何か、という問いかけと提言でした。

私は、教師として教育という仕事の中で働く以上、年齢がいくつになっても失ってはいけない信条を持つべきだと思って今日に至っています。私は、それを失う時は教員を辞めるべきだとも思っています。
私のその信条の一つが、ことあるたびに言ってきていますが、「教育は平和をつくるためのものである」ということです。平和を考えることは教育の根幹、平和を考えることが根元に無ければ、学ぶことの意味がないと信じてきています。
「平和は大切です」と表面的に言葉面をなぞるのではなく、また、当たり前のこととして単純に通過するのではなく、心を揺るがすような思いを以って、根底から平和を考えることが大事だと思っています。何故なら、今日の聖書の言葉に示されているように、私たちの人間の「業(ごう)」として、隣人を自分のように愛することが難しく、それが、小さな争いから大きな戦争まで、全ての争いごとの源になっているからです。

今日はこれから、私がこれまでの人生の中で訪ねたところのお話をします。それは、私にとっては、単純ですが私自身の平和に対する考えを確かめる方法でした。

日本では、まずは原爆。それは言うまでもありません。広島と長崎。それぞれの資料館を何度か訪ねています。37歳の時、8月6日広島での式典にも参加させてもらいました。原爆そのものの問題は言うまでもありませんが、それ以前に、何故、原爆が落とされるまで戦争を止めなかったのか、それも二度までも・・・です。落としたアメリカも落とされた日本も、歯止めが利かなくなった状態の悲劇に陥る、どうしようもない人間の罪を感じるわけです。

沖縄は、「ひめゆり平和祈念資料館」です。沖縄戦で日本軍への協力の使命を与えられて看護助手の作業という名目で駆り出された13~19歳の女子生徒、約200名が戦死しました。「ひめゆり学徒隊」と呼ばれた女子生徒たちを追悼する「ひめゆり平和祈念資料館」を訪ねました。
そして沖縄ではもう一つ、米軍普天間基地を見下ろす小高い丘の上にある「佐喜眞美術館・『沖縄戦の図』常設展」を訪ねました。皆さんも知っていると思いますが、あの有名な「原爆の図」の作者である丸木位里・丸木俊夫妻が描いた『沖縄戦の図』。4m×8mの壁一面の絵は、訪れる者たちの呼吸を止めます。
丸木位里・丸木俊夫妻の有名な「原爆の図」は、埼玉県の東松山市の「原爆の図・丸木美術館」にありますね。

それから、絵と言えば、長野は上田市にある「戦没画学生慰霊美術館『無言館』」にある数々の絵からも、丸木夫妻の絵とはまた違った語りかけを聞きます。私はまだ移動展でのみ、収蔵されている絵を部分的にしか観たことがないので今年こそ是非、「無言館」を訪ねたいと思っています。色々な方が勧めていますが、絶対に一度は訪ねてみるべきでしょう。
「無言館」には、画家・芸術家を志していた学生で、戦争に召集されて戦死した画学生130名の生前の絵が収蔵されています。まだ無名、でも才能があって将来がある画学生の無念の思いが、絵の中から言葉として必ず聞こえてきます。

言葉として聞くのなら、読むのなら九州です。九州は鹿児島、知覧です。お茶の「知覧茶」が有名なところです。知覧の日本軍の滑走路から多くの特攻隊員が飛び立っていきました。知覧には、お茶畑の丘陵の中に知覧から飛び立った特攻隊員、1000人を超えるその遺影と遺書を展示する「知覧特攻平和会館」があります。
知覧の話は数年前に話したことがありますから、上級生は少し記憶に残っているかもしれませんね。私は初めて訪ねた時、涙が止まらず、二度と来たくないと思いました。しかし、やはりどうしても再び訪ねてみたいと思いました。
何を思って、想わされて、どんなふうに自分の思考や考えることが麻痺させられて、本当の気持ちを抑え込んで、自分が死ぬことで攻撃を成し遂げるのが正義だと思う心理状態にさせられて飛んでいったのか…ということを、遺書となった出発前の手紙の行間からもっと冷静に読んでみたいと思い再び訪ねました。

アメリカ・ハワイは、ホノルルにある「アリゾナ記念館」を訪ねたことがあります。ここも二度訪ねました。この記念館は、1941年の12月8日、ハワイ時間では12月7日、大日本帝国海軍の真珠湾奇襲攻撃で撃沈されたアメリカ海軍の「戦艦アリゾナ」が沈んでいる海上に建てられた記念館です。アメリカ海軍の「戦艦アリゾナ」は停泊中に攻撃を受けました。乗組員1177名のうち、1102名が死亡しました。この記念館は、乗組員の追悼と真珠湾攻撃を記録するものです。今、新しく改装されたと聞きましたが、私が訪ねた17年前は、海の上の「アリゾナ記念館」に渡る前に、ビジターセンターのシアターで、アメリカ側が撮影した日本軍による真珠湾攻撃の映像を解説付きで観ます。衝撃的な映像です。日本がやったのだ、という居たたまれない、その場を去りたくなるような気持にさせられる映像と解説でした。解説や資料には丁寧で正しい日本語があります。

そして、中国です。中国は東北部の遼寧省瀋陽です。第二次世界大戦中は、瀋陽という地名ではなく、日本の支配した満州国の重要な都市で奉天と呼ばれました。その瀋陽の「九・一八歴史博物館」を訪ねました。
中国の9・18と聞けば、歴史を学ぶとそれは満州事変の発端となった柳条湖事件のこと。「九・一八歴史博物館」は、満州事変の発端となった柳条湖事件の現場のすぐ横に建設されています。「柳条湖爆破記念碑」も訪ねましたが、「九・一八歴史博物館」は、広島の「広島平和記念資料館」よりも大きいかもしれないという印象を持ちました。確かに大きな建物でした。しかし、それが建物の大きさなのか展示されている物の印象からなのかわかりません。大きく感じたというのが強い印象です。
「九・一八歴史博物館」の入り口の傍には「靖国神社」と刻まれた壊れた石柱がオブジェとして斜めに地面に突き刺されて設置されていました。建物の中のことは、わたしから聞くよりも観るべきものでしょう。
瀋陽から離れて黒竜江省の哈爾濱には「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」もあります。私は予定にありましたが、訪問はしませんでした。「九・一八歴史博物館」だけで、気持ちが大深く沈んだからです。瀋陽の「九・一八歴史博物館」には日本の731部隊についての展示物も十分なほどありました。
731部隊は、知っている人もいると思います。石井部隊とも言われ、医師たち、軍医たちが医学的に兵士の感染症予防の研究を行なっていましたが、研究では人体実験が行われていました。同時に、細菌戦のための生物兵器の開発の研究を行っていました。多くの人体実験や実戦的に人を使用した兵器実験を行ったとされている特殊部隊です。そこで犠牲になった多くの中国の人々やロシアの人々は「マルタ」とよばれました。人ではないのです、木の丸太です。

「百聞は一見に如かず」ということわざがありますね。人から聞くことよりも、自分の目で見ることの大切さを表す言葉です。英語にもこれに最も近い表現があります。「Seeing  is  Believing」です。この英語は、直訳で「見ることが信じること」となりますが、語を意味論的に説明すると、Seeは「現実に、実際に見る」という意味、あるいは「見て自分が理解する」という意味があります。そして、「Believe」には、「信じる」という意味の奥に、「実態を受け入れること」とか「存在を認めること」という意味があります。

75年前のことです。私たちは経験していません。
しかし、現在私たちには当時にはなかった科学技術があります。実際に経験していなくても、そういうことがあったということを人間の五感と心に訴える方法があります。実際に経験はしていなくても、残された証拠や証言や、映像の保存や正確な再現を通して、五感と感性と、そして理性に訴え続けていくことのできる技術があります。
もちろん、そういうものに頼らないまでも伝えようとする人もいます。人の感性に伝えようとする努力がある、しかし、そこには冷静に考えなければならなければならないこともあります。伝える「感情と言葉」には現実や事実を歪めて化けさせてしまう力と危険がある、またどんなに誠実であっても限界もあるということです。
私たちは、直接経験できなかった戦争の悲劇と、その悲劇とは何によってもたらされたのかということについて、しっかりと追体験する必要があることを、皆さんに私は伝えたい。それは、皆さんが、皆さんの未来を作る人自身だからです。

2学期が始まります。コロナに振り回されて始まった2020年。6年生にとっては厳しい一学期とそして夏だったと思います。
しかし、六浦に学ぶ以上、是非、学びは何のためにするのか、それを心の深くに覚えて、2学期の現実をスタートしてほしいと思います。