みことばを心に(5)

掲載日:2020.03.13

休校により毎日の礼拝ができません。そこで本校WEBサイトに礼拝メッセージを送ります。
これまで本校の礼拝にいらして下さった牧師先生のお話もあります。みことばを心に留めて一日を始めましょう。

『わたしが生きるので、あなたがたも生きる』

(新約聖書ヨハネによる福音書14章16節~19節)
日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会 朝岡 勝 牧師

私たちは、誰かを頼らなければ生きていけない存在です。今の社会は自己責任論が大手を振るっていますから、人に頼るのは弱い人間、まして神に頼るなどというのは最も弱い人間ということになるでしょう。でも実際には、私たちは誰かに頼らずには生きてはいけないのです。自分一人で何でもできると強がることは傲慢ですし、苦しいのに誰にも助けを求められないというのもつらいことです。誰にも助けてと言えないつらさ、一生懸命に強がって、自分のプライドが邪魔をして「助けて」と言えないつらさ、あるいは誰かに頼らずには、何かに助けてもらわずには生きていけないのに、その誰か、何かと出会うことができずに手当たり次第に寄りかかって生きてしまうつらさ、そういうものを抱えながら生きている、それが私たちの姿なのかもしれません。

主イエスの目から見て、弟子たちの交わりはどのように映っていたのでしょうか。彼らは主イエスによって召された弟子たちです。それぞれ人生の途上で主イエスと出会い、それまでの人生に別れを告げ、それなりの犠牲を払ってここまで従って来ました。わずか三年半ほどの生活の中でいろいろな経験をしてきたでしょうが、そんな中で彼らは互いに「助けて」と言えるような交わりを作っていたのだろうか、そんな問いを抱くのです。本当は不安になるときもあり、疲れてしまうときもあり、恐れてしまうときもあり、助けてほしいときもあったはずです。でもそれを素直に口に出すことのできない空気がもしかしたらあったのではないか。私自身がそのことを思うのは、特にあの主イエスを裏切ったイスカリオテ・ユダのことを考える時です。「俺、最近悩んでいるんだ」と言えたり、「実は俺、お金をごまかしていたんだ」と言えるような交わりがあったら、あるいはお節介のようであっても「おいユダ、お前最近どうなんだ」、「何か話したいことがあるなら言えよ」と声をかけてくれる弟子仲間がいたら、彼があそこまで追いつめられることはなかったのではないか。そんな気がしてなりません。

ユダのように罪に引きずられそうになったとき、心が病んでしまいそうになるとき、恥ずかしいけれど一人では抱えきれない問題を抱えたとき、どうにも自分の力では解決できそうにないときに、「助けて」と言える交わり。そういうものではないだろうかと思うのです。大切なのは助けてほしいときに「助けてください」と言って頼れる存在があるか、ということです。そこで聖書の言葉に聞きましょう。16節、17節。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は真理の霊である。・・・この霊はあなたがたと共におり、これからもあなたがたの内にいるからである」。ここで「別の弁護者」というのは、もう一人の助け主、聖霊のことです。「パラクレートス」、私たちを傍らに呼んでくださるお方。根掘り葉掘り聞くわけでなく、図々しく心に踏み込んでくるのでもなく、じっと私の傍らにいて慰め、励ましてくださるお方、それが聖霊だというのです。

私たちはこの助け主、弁護者に助けを求めてよい。頼ってよいのです。4月から学校生活がはじまって、いろいろな重荷を背負って歩んできて、でも誰にも弱さを見せられず、明るく楽しいキャラを演じなければならない。本当に聞いてほしい言葉を呑み込んで、正しい人を取り繕わなければならない。もしそうだとしたらこんなに苦しい日々はないでしょう。でも、助け主の聖霊は、そんな私たちを傍らに呼んでくださり、黙って私にキリストの愛を証ししてくださるのです。さらに聖書は言います。18節、19節。「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる」。私がとっても好きな聖書の言葉です。イエス・キリストは私たちをみなしごにしない。ひとりぼっちにしない。わたしが生きるので、あなたがたも生きる、と言われるのです。「わたしが生きるので、あなたがたも生きる」。イエス・キリストのいのちに連動して、私は生きることができ、あなたも生きることができる。これが聖書が語るいのちのメッセージです。

私はこのことをどうしても今日、皆さんにわたしが生きるので、あなたがたも生きる。まさにこの主イエスにあるいのちの交流が始まっているのです。是非皆さんにもこのいのちの交流を経験してほしいと願います。皆さんに祝福がありますように。