2019年度入学式を行いました

掲載日:2019.04.05



4月5日(金)、中学校・高等学校それぞれの新入生を迎え、2019年度入学式を執り行いました。

パイプオルガンの奏楽とともに礼拝堂へ入場してきた新入生の皆さんは少し緊張した面持ちでしたが、これからの学校生活への期待に満ち溢れていました。本校の入学式は礼拝形式で行われます。聖書の言葉に耳を傾け、初めての讃美歌に少し戸惑いながらも、みんな一生懸命賛美していました。

学校長の式辞、学校法人関東学院理事長の告辞の他、本校吹奏楽部による校歌の合唱がありました。式典終了後は、中庭で新入生と保護者の皆様全員の集合写真の撮影、その後はそれぞれのクラスに分かれて初めてのホームルームを行いました。

新入生のみなさんは六浦で過ごすはじめの一歩を踏み出しました。本校で過ごす6年間または3年間が新入生のみなさんにとって実り多きときとなるよう、教職員一同精一杯尽力してまいります。



以下、校長式辞の全文を掲載します。

皆さん。今日からは、関東学院六浦の中学生、そして高校生です。入学、おめでとうございます。皆さんの一人一人に、私たち関東学院六浦中学校・高等学校の教職員全員が、熱い気持ちで祝福の言葉を贈ります。そして、皆さんの本校への入学の決意は、皆さんの個性そのものの表れとして称えたいと思います。この日を迎えられました保護者の皆様、そしてご家族の皆様におかれましては、新しい日々の始まりに感慨深くいらっしゃることと思います。心よりお祝いを申し上げたいと存じます。

お祝いの言葉に込める私たちの思いは、近未来のVUCA な世界に向かって必要な力を準備する皆さんを大いに激励したいという気持ちと、そのための学びの場として、神様によって関東学院六浦が準備されたのだと、大きな安心感を持ってほしいという願いです。
そのように申し上げるのは、―――いま、VUCAな世界と申し上げましたが―――VUCA、つまり、六浦は、「予測することが不可能な激しい変化」の社会になるだろうということを真剣に考え、それに備える学びの場と学ぶ内容、様々な経験の機会を先んじて準備している学校である、という自負からです。
ところで、このVUCAという言葉は、2010年代に入って、世界の経済界の至るところで使われるようになりました。今年は1月にスイスのダボスで開かれた経済世界フォーラム年次総会、通称「ダボス会議」では、2016年の会議からVUCA WORLD という言葉が盛んに使われるようになったと言われています。
VUCA。V、U、C、A。 Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実さ)、Complexity(複雑さ)Ambiguity(不明確さ)、この4つの単語の頭文字を並べた造語です。4つの語を混ぜあわせて、「予測することが不可能な激しい変化の状態」という意味であると解説されています。VUCAという言葉が、いまの世界の状態を言い表すようになった理由には、社会の大きな変化があります。

トーマス・フリードマンという経済学者がいます。フリードマンは、その変化の要因の一つはちょうど30年前の1989年から始まったと説いています。ドイツ、ベルリンの街で起こった 東西に分断する壁の崩壊、その2年後のソビエト連邦の国家の崩壊、さらにその翌年の中国の市場主義経済制度の導入。市場主義経済の世界規模への移行を指しています。
それまで共産主義の国々は、外国との貿易も限られ、人々の海外への行き来も自由にできない閉じられた社会でした。しかしそれ以後、世界全体で自由に貿易や往来が出来るようになり、経済活動と人の流動性に世界規模での大きな変化が起こるようになりました。
そして、もう一つの変化の要因は、ICT技術の進歩と普及とフードマンは説いています。世界の政治や経済の変化と時期が重なる1990年代以降のICTの急激な発達。トーマス・フリードマンは、この二つの要因で世界がフラット化したと説いています。つまり、世界のあらゆる場面で境目や段差がなくなったというのです。しかし、いまはそのフラット化の進行ゆえのVUCAの状態になっているということでしょう。

皆さんは、インターネット環境が普及し、スマートフォンが広がり始めた頃に生れました。皆さんにとっては、今のICT環境は当たり前の光景かもしれません。しかし、実際には、インターネットの発達と通信技術の著しい進歩はわずか20年の歴史です。その進歩のお陰で、世界のあらゆる地域のあらゆるものの水準を一気に、短期間に同じレベルにまで引き上げることが可能な社会となったわけです。それだけに、予想もしないような大きな変化が起こるようになりました。皆さんが生れた頃の世界の様相と今日の様相は全く違うのです。
その大きな変化の中に、発展途上国と呼ばれてきた国々の急速な経済成長があります。社会インフラの発展、教育水準の上昇、人々の生き方の変化があります。経済の成長で人々の生活の水準が上がりました。生活水準が上がって食べ物も消費するものも変わってきました。食文化もフラット化が進んでいます。それだけ物流も変わるわけです。当然、より良い暮らしを求めて教育の水準も、教育を通して求めるものもさらに変わります。それによって、先進諸国との関係にも大きな変化が起こってきました。
発展途上と言われてきた国々の成長には、共通の特色があります。その前に先進諸国を眺めると、科学技術の発達は生活の中に一つ一つ段階的に反映されていきました。つまり、先進国では社会全体が、その歴史の時間をかけて階段を一段一段上るように発達してきました。
しかし、発展途上国と言われてきた国々はどうでしょうか。例えば、先進国が積み上げてきた成長の結果としてある社会インフラの何かが発展途上国に移入されるとします。それは、何も無かったところに、忽然と最新の街並みとして現れるようなものです。例えば、インドネシアのジャカルタ市内を新しく走ることになった地下鉄は、最新の日本のインフラ技術のパッケージとしての輸入です。全く違った次元の生活形態が突如として始まるわけです。
経済全体の勢いから見れば、まだ貨幣価値での大きな差がある日本の立場からすると、私たちはどこかにまだ、漠然とした優越感を覚えがちです。しかし、それは既に幻想です。過去の写真を見ているようなものです。たしかに、発展途上の国々には、経済が成長するにつれ、国内の貧富の差がとても大きくなるところも多いのですが、しかし、その国に育つ若者たちが受けている今の教育の現状を1分でも、否、1秒でも見聞すれば、たちどころに現実が分かります。貨幣価値の差とは全く別に、アジアの多くの国々の教育制度や教育内容、特に学び方において驚かされることが多いのです。
第二次世界大戦の前の植民地時代の宗主国からの影響で、教育制度もカリキュラムも、あるいは教材も、そして学校で使われる教育言語も、欧米の世界標準そのものです。いま、それが発展途上国の成長の中で見えるようになり、日本との違いが明らかになってきました。

本校が2014年から 具体的に交流を深めているマレーシアは恰好な例でしょう。現在の首相のマハティール首相は、以前に首相であった時に言った「日本に見習おう」を再び提唱して、国の建設を進めようとしています。マレーシアにとって日本は大切な友好国です。日本の技術がいたるところで役立っています。たくさんの日本の企業が経済活動をしています。日本は憧れの国なのです。しかし、マレーシア国全体の成長の速さや多様性への寛容さ、ダイバーシティによる発展の可能性は、いまの日本にはないものでしょう。
マレーシアは、もともとの多民族・多文化共生の平和な国です。その国民性を最大限に活かして教育改革を進めてきました。教育システムは、イギリスのカリキュラムに基づいています。小学校、中学校、高校にはインターナショナル・スクールが多くあります。また、大学の国際化も急速に進んでいます。ある大学では、在学生の3分の1が世界90カ国からの留学生で活発な学びを展開しています。国際的な環境での教育に力を入れています。そうした人材育成が国の発展につながるからです。
マレーシアは社会インフラの面ではまだまだ発展途上ですが、世界の先端技術や既に完成された新しいシステムをどんどん移入しています。一方で先進国から輸入するインフラで社会の整備が急速に進み、他方で若者たちは、歴史的国際的事情からごく普通にグローバル・スタンダードの教育カリキュラムの中で学ぶ。若者たちは、学びや自分の成長の先に大きな夢を持っています。自分の成長を国の成長と結びつけて、自分の可能性を信じ、伸び伸びと主体的に学んでいます。

一方、日本はどうでしょうか。皆さんは科学技術力を誇る日本に生まれ、技術がフルに活かされて豊かに完成された社会に暮しています。社会の成長の過程があまり見えなくなった日本の社会しか知らないでいると、あるいは、既に豊かであるから他を知る必要をあまり感じないとしていると、主体的に自分の夢を描くことや、学びの意味を真剣に考えることは、逆に難しいかもしれません。
学び方一つを取ってみても、それを感じることがあります。たとえば、英語の習得です。いまなお日本の教育の多くの場面では、英語は「試験の科目にある教科」という認識が、英語は「世界で生きるためのツール」という認識よりも、順位は上位にあるのが現状でしょう。本当に英語は何故学ぶのでしょうか。「『世界で生きるためのツール』だと分かっている」と言う人も、そう説く多くの学校も、現実はどうでしょうか。
もう一つ、私たちは、日本は世界に例を見ないスピードで少子高齢化が進んでいるという現実を、同時に真剣に考えなければなりません。人口縮小はもはや止められません。人材不足を補うために、海外からの留学生の受け入れが進み、日本の大学を卒業した留学生の日本での定住が 進んでいます。
また、この4月の入国管理法の改正で加速する技能労働者の受け入れも含めて、日本国内のグローバル化を真剣に考えなければなりません。近未来は、海外との往来がもっともっと普通になり、「グローバル化」という言葉が死語になります。その時代に生きることになる皆さんこそ、いまこそ、世界を知るべきなのです。社会に出てから世界を知る、それでは遅い。大学に行ってから経験する、それも遅いのです。いま、世界がどういう状況にあるかを自分の目で見て、耳で聞いて、五感で知って、VUCAな世界の中に歩み出すことになる、皆さんにとっての7年後、10年後の未来を予想する。未来の視点からいまの自分を意識する。そして何かに気づく。そして、その「気づき」を以って、いまの学びを考える。
つまり、何のために何を学ぶのか、それをどうやって学ぶのか、それではどんな学び方が大切なのか、それらを考えることが大切なのです。そのための「気づき」が大事なのです。今日皆さんに配付されるGo! Global Vol.15には、その先鋭的な例が紹介されています。

さて、この3月の181名の卒業生に、オランダの国立アムステルダム大学に合格した生徒がいます。ハワイのコミュニティ・カレッジに進学する生徒が複数います。マレーシアの大学に進学する生徒もいます。
いま、示した進路の例は、かつての留学進学の考え方とは全く変わってきているということを伝えたいという意味から紹介しています。どの生徒も特別な環境に育っているのではありません。これまでの学びと将来の展望の中での自然な結果でした。
生徒たちを見ていると、その選択は、かつての留学のように「あえて海外を選ぶ」というような動機からではなく、身につけた力を伸ばすために国内と国外の「広い視野から選ぶ」という必然性からです。自分の人生の主体的な選択になったと感じています。ですから、異文化社会への旅立ちの勇気を称えることは別として、海外大学への進学の選択を誇大に評価して紹介しているのではありません。日本で学んでいる海外からの留学生と同様です。国内の大学への進学と同列、同等に海外にも進路先を考える時代になってきているということ。そして、六浦は、広い視野と学びへの希望と勇気を持てる学校であるということを、皆さんに示す例だと思っています。
冒頭で、六浦はVUCAな社会になるだろうということを真剣に考え、学びの場と内容と、経験の機会を先んじて準備している学校であると言いました。皆さんは、その学校、関東学院六浦へ入学しました。これからの社会を考え、学びの意味を考え、学びの先に大きな夢を抱いてほしいと思います。VUCAと言われる未来社会には不安はあるだろけれども、むしろ逆に、多様性が至る所に生れる、そしてそれゆえに個性が生かされる社会になるという期待感もあるはずです。つまり、主体性をもって生きるという大きな希望が持てるはずです。

最後に、本校での学びは、校訓として掲げる「人になれ 奉仕せよ」に収斂するものであることを伝えたいと思います。校訓「人になれ 奉仕せよ」の精神の土台は、キリストの教えであることを伝えます。本校での学びの根底にあるものは、どの時代にあっても揺らいではいけない、神がキリストを通して示した「自分を愛するように隣人を愛する」精神であること。このことを胸に刻んで新しい日々を歩み出してほしいと思います。

以上をもって、式辞とします。あらためまして、入学、おめでとうございます。