3学期始業式を行ないました


掲載日:2021.01.08

本日、3学期の始業式を行ないました。

新型コロナウイルス感染拡大の影響を考慮し、オンラインでの始業式となりました。全校生徒の一斉での登校は本日のみ。週明けから授業が始まりますが、本校では社会情勢を踏まえ、オンラインと対面の授業を併用し、登校する学年を分ける分散登校の形をとります。

以下、校長の式辞です。

** ここから **
2018年に出版された「大正=歴史の踊り場とは何か 現代の起点を探る」という本があります。大阪大学の総長、京都市立芸術大学学長などを務めた鷲田清一(わしだきよかず)さんの他3名、4名による著作です。
簡潔にまとめると、この本は、大正時代は明治時代と違って今の時代の社会や今の人びとの暮し方のスタート点になる時代であったと論じています。
明治は、欧米諸国に追いつけ!と明治政府が社会を牽引した「官製の近代化」と説きます。「官製」、つまり政府がつくる近代化ということです。一方で大正時代は、一般の人々が人々との暮しを形作っていった時代だと論じています。明治時代とは違って大正時代はそれまでの流れの方向転換の時期・時代であったということについて、大正時代に現れた「震災」、「民生」、「学区」、「趣味」、「娯楽」「サラリーマン」、「職業婦人」、「専業主婦」、「地方(ぢかた)」、「自由」という言葉の背景を説明しながら説いています。
大正時代の「はやり」、「流行」についても、新しい考え方や社会の形が、それまでの発展の流れの中で形成されていった「はやり」ではなく、今の時代につながる新しい時代の源流となったと説いています。そして、それを「歴史の踊り場」と呼んでいます。
「踊り場」は、階段の途中につくられている広い平坦なところです。階段の方向転換の場、上り下りでの小休止の場、また、安全面では転んだ場合の転落防止のための平面です。

大正時代は1912年~1926年。大正元年から大正15年までの15年間です。世界史の問題ではありませんが、当時、全世界の経済大国を巻き込んだ大きな戦争が起こっています。何という戦争だったでしょうか? そう、第一次世界大戦です。では時は?1914年から1918年です。大正時代は1912年~1926年ですからその真只中に戦争がありました。世界各地でたくさんの戦争が起こりました。世界は大きくは二つのグループに分かれて戦争となりました。日本も参戦しました。
戦争が終結し、後始末の会議が開かれました。1919年の「パリ講和会議」です。会議で、戦勝国としてリーダーシップをとった5つの国は、イギリス、フランス、アメリカ、イタリア、そして…日本です。終戦の処理とは、弁償とか補償とかを決めることです。それを取り決めた「ベルサイユ条約」があります。
日本は1914年、イギリス軍と大日本帝国陸軍の連合軍として「青島(チンタオ)の戦い」を起こしています。ドイツ東洋艦隊の根拠地となっていた、当時の中国、中華民国の山東省の青島を攻撃し攻め落としました。そして「ベルサイユ条約」で日本は、中国山東半島でドイツが持っていた権益、つまり様々な政治的、経済的支配権をドイツの代わりに引き継ぎました。そして、ドイツ領となっていた赤道から北側のパラオやマーシャル諸島などの南洋諸島の委任統治権を譲渡させ、日本はアジアへと進出していきます。話がどんどん深みにはまっていきますのでここでやめますが、要するに、明治からの急速な西洋化を進めてきた日本の社会は、この第一次世界大戦での勝利に狂喜乱舞していた時代です。
ところで、「ベルサイユ条約」の1919年(大正8)は、関東学院も忘れてはならない年です。小金町の三春台に「中学関東学院」をたてた年です。しかし、そういう時代ですから、教育にも軍国主義が影響してきます。キリスト教に基づく「隣人愛」の教育を自由に行うことが「中学校」という通常の学校では難しい。初代学院長の坂田祐先生は、学校の名前さえもあえて「中学関東学院」にしたといいます。

当時の社会の経済状態は激動でした。何故激動だったのかは是非勉強してほしいと思いますが、第一次世界大戦中、日本は戦争景気に沸きました。しかし戦後、アジア諸国での貿易の流れが変わり、日本は1920年(大正9)に「戦後恐慌」を経験します。そして1922年(大正11)の「銀行恐慌」。そして、そこに襲い掛かったのが、翌年1923年(大正12)の「関東大震災」で、「震災恐慌」が起こりました。
世界の大きな歴史の流れに合わせて日本も動き出しました。世界の違う地域で違う営みをしていた世界の各地域が、第一次世界大戦とその後の経済の混乱の「世界恐慌」によって、一気に「困難」が世界中でシンクロナイズしました。つまり困難と困窮が同期化、同時化したのです。そして日本は、第一次世界大戦と世界恐慌という地球規模の戦争と経済の混乱のうねりに巻き込まれながら、さらに1923年の関東大震災によって、明治維新から半世紀間積み上げてきた全てのものが「瓦礫」となるという経験をしたわけです。先ほど述べた、「震災」「民生」「学区」「趣味」「娯楽」「サラリーマン」「職業婦人」「専業主婦」…云々という言葉に現れる、新しい社会への流れ、都市化の進行、人々の意識の変化、暮らしの大きな変化が、まさにその中で起こったわけです。

私が今日この本に触れるのは、もう気付いているかと思いますが、困難の中に新たな流れが生まれるという点に注目したいということです。最近、「新しい生活様式」とか「リモート」という言葉がよく使われますが、いまは、もっと大きな規模と高いレベルでの社会の変化を捉えるべきと思います。コロナウイルス感染拡大は大きな災いです。大きな困難です。そして多くの不幸をもたらしています。しかし、皆さんが自分の将来を考える上では、困難としてだけで捉えるべきではなく、一つの「歴史の踊り場」という観点で捉えることも重要と強く思います。
昨年一年、コロナウイルス感染症の世界的拡散と蔓延があり、学校生活も不自由になり、皆さんの学校生活での不自由さを私も本当に悲しく思います。本当に悔しいです。…そしてついに昨日は、東京は一日で2,447人、神奈川もこれまでの最多の679名、全国では7,000人を超えたというニュースがあり重い気持ちでいっぱいです。
しかし、それとは別に、並行するICT技術の急劇な発達に、もっと強く注視するべきでしょう。これまでなかなか変わらなかった社会のあり方が、コロナ感染拡大による影響とICTの発達が相俟って、社会を急激に大きく変化させてしまう…と誰もが強く感じていると思いますが、あらためてこのことを意識したいと思います。
そして同時にもう一つが大きなうねりがあります。様々な自然災害、気候変動の問題が社会をいよいよ動かします。2003年生まれのスウェーデンのグレータ・エルンマン・トゥーンベリさんの活動は有名ですが、皆さんと同じ世代であることに目を留めたい。それは、皆さんの世代は、これまで生きてきた人生の時間の長さより、これから生きる人生の時間の方が圧倒的に長いからです。若い世代の訴えがとても重要なのです。皆さんが政治を動かす力にならなければならない。若い力こそ、なかなか進まない再生エネルギーへの転換を加速させると考えます。皆さんには自ら訴える力を持っているはずです。待っているだけでは何も生み出せません。
日本は、菅内閣になって再生エネルギーへの転換に関して前進した感じがしますが、それはまだ「宣言」のレベルでしょう。とは言え、皆さんの保護者までの世代が経験しなかった経験を皆さんは人生の真ん中で経験するはずです。依存するエネルギー源の根本的な変化、代替が起こります。そして2040年頃にはそれによるモータリゼーション(車社会)のあり方の変化が完全に起こり、大きな社会変化が始まるでしょう。一つの例は電気自動車です。部品の簡素化がよく言われますが、自動車産業のサプライチェーンも大きく変わり、産業構造の変化と社会の大きな変化、労働の形態の変化が始まるでしょう。

イギリスのオックスフォード大学で人工知能の研究をしているマイケル・オズボーン氏が2013年に『雇用の未来—コンピューター化によって仕事は失われるのか』という論文を発表し、世界中が驚きました。日本でも様々に読み解かれ、「消える職業」、「なくなる仕事」、「生まれる仕事」という話題となりました。
それに先立つ2011年。今から10年前です。アメリカのデューク大学のキャシー・デビッドソン氏は、「アメリカでは、2011年に小学校に入学した子どもたちの大学卒業時には、その65%が今は存在していない職業に就くだろう」と予測しました。2011年に小学校入学なので、いま、ほぼ高2です。高2の皆さんは、未来社会の職業をどう眺めていますか?

6年生の皆さんには、私が皆さんに語る最後の礼拝での奨励となりますが、皆さんの入学を私は迎えました。入学前の説明会から10年後、20年後を見つめよ、と語りました。今日も伝えたいと思います。孫正義さんがYahoo Japanを起こした若い頃に、「1年後、2年後の社会を想像するのは難しい、しかし、10年後、20年後を想像するのはそれほど難しくない。」と語りました。その言葉が私には今も鮮烈なのですが、皆さんには、自分が生きる今の時代とその先を同時に強く見つめて向かってほしいと思います。
すでに進路が決まっている人も、間もなくその受験を迎える人も、自分の未来は決まっていないことでは全く同列で同じです。進路が決まっている人は慢心せず、油断せず、次の学びへの備えが大事です。しかし、どの人も選ぶ進路から10年後、20年後を見つめなければなりません。
5年生以下の生徒も同じです。未来が大きく変わる時代であることを真剣に考え、これまでの考え方に捉われずに、社会の変化を考える中で日々邁進してほしいと思います。
2020年も2021年も、未来への歴史的、社会的「踊り場」といえると思います。苦しくて不自由な、本当に自由の無い時代の中にいますが、歴史の転換期にいると大きく捉えて、これまでの考え方から一歩前に踏み出し、これまでの経験だけで考えるのではなく、未来の方向へ目を向けて考えてほしいと思います。

しかしその中で、忘れてはいけないことがあります。
今日読んでいただいた聖書の箇所(マタイの福音書7章7~12節)からです。イエスが「神の国」、「神様」について語る有名な個所ですが、よく注意して聞く必要があります。
「求めなさい。そうすれば、与えられる」、「門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」と言われていますが、「門をたたく」のは自分からの行動でも、結果は「開かれる」ということ、自分で門を開けるのではなく、開けてくれる方がいるということに注目です。これが神の国、神様だと語られていて、主体的に動くことが大切だけれども、その行動の先の結果は与えられるものであるということです。
そして、そのことに注目しつつ、「あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない」(11節後半)として、神から良い物が与えられるわたしたちだからこそ、「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(12節)があるということ。これを同様に、重要なこととして心に留めることが大切なのです。

歴史の踊り場かもしれない時代に立っているからこそ、これまでの経験に縛られず、主体的に求めること。そして主体的などんな努力も「自分を愛するように隣人を愛せよ」に結んでいくことが肝心です。私たちの校訓の「人になれ 奉仕せよ」も、この時代においてあらためて確認すべきことである、と今日、始業の日に考えたいと思います。以上を式辞とします。