校長のつぶやき(63)「六浦校地とアメリカンバプテスト」


掲載日:2021.10.27

学院の創立記念日に近い9月30日、高橋彰先生(日本バプテスト同盟関東学院教会牧師)に礼拝のメッセージをお願いしました。タイトルは、「学院長ヒンチマン先生の思い出」。お話を思い出しながら、六浦中・高に繋がっているということを考えてみました。

ヒンチマン先生は、高橋彰先生が三春台の関東学院の高校1年生の時に、関東学院の学院長になられたとのこと。ヒンチマン先生は、若いころ第二次世界大戦が終わってまだ4年後の1949年、ネイディーン夫人と共に船でアメリカから来日。翌1950年にはアメリカンバプテスト宣教師主事に就任します。27歳の若さでとても大きな働きを始めます。この六浦校地を購入するため、アメリカンバプテストの本部と交渉をします。アメリカンバプテストによる敗戦後の日本支援計画、1950年「ジャパン・オポチュニティ・プログラム」の第一番目の項目に六浦校地取得支援を掲げることを達成したのです。

休日早朝の六浦中高 2号館

「日本の将来を担う人びとに神の愛を土台にした教育がなされるために、世界の人びとと平和と和解の働きをなす人を生み出すために」という目的で、アメリカのバプテスト教会の信者の皆さんから巨額の献金をいただき、校地を取得します。これは、学院史の巻末年表のほんの2行の「1951年4月9日、国有地が払い下げられる。六浦の大学と六浦中・高のキャンパス82,000㎡・・・ミッションの寄付金を資金とする」に隠れる史実でした。

日本とアメリカは戦争をしました。しかし、アメリカのバプテスト教会の信者の皆さんの気持ちが結集し、形となったということでしょう。思いを以って学校を支援し、土地の取得支援をする。高橋先生はヒンチマン先生を「神の愛に信頼し、その愛に押し出されるようにして隣人と兄弟姉妹の関係になろうとする生き方が、無意味でも虚しくもなく、わたしたちが最も人間らしく生きられ、恐れや不安から解き放たれて自由に生きられる道」を示した方だと語っておられました。

クリスマス・アドベントの大学チャペルと中通り(チャペルの裏、中通り奥が六浦中高)

「愛に基づいて生きないとしたら、その人の生涯は無意味な活動にすぎません。わたしたちは互いに愛し合い、喜んで他の人たちに仕えるとき、真の人間になるのです。」(B.L.ヒンチマン著『神は愛なり』より)と説くヒンチマン先生とアメリカのバプテスト教会の信者の皆さんの神の愛に応える行動と実践がありました。大きく支援された六浦校地取得の歴史の中にある関東学院六浦中学校・高等学校。数ある学校の中からそういった歴史を持つ学校で、生徒は学ぶことの中に、また教職員は仕事をすることの中に、いまの時代にも通じる「学びの場」を超える使命がある…と感じたお話しでした。高橋先生、ありがとうございました。