校長のつぶやき(60)明日を夢見て、見上げることができる空がある


掲載日:2021.07.25

7月21日(水),1学期の終業式を行いました。この1学期も新型コロナウイルスの影響を受け,いくつかの学校行事を中止にせざるを得ませんでした。日々の検温や昼食の黙食など,生徒・保護者の協力をいただきながらの学校生活でした。

以下,校長式辞を掲載いたします。

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昨年は、コロナ対策でon-line期間が長く、授業時数の関係で終業式が7月30日となりました。今年は、何とか年間予定表の通りの今日、7月21日です。ひとまず安心ですが、私が皆さんに、私が謝っても仕方のないことだけれども、やはり申し訳のない気持ちでいっぱいです。

たった一度しかないそれぞれの年齢での1年間を、またもこうして自由ではない環境で過ごしてもらうしかない。コロナ禍の状況で、いろいろなことが本当に残念でなりませんが、こうした中で頑張っている皆さんに、私は、感謝の言葉と賛辞を贈りたいと思います。それは昼食時のマナーです。どの学年もとても良好です。

私はある日、ある用件で関西のある学校の校長先生から、コロナの対策について首都圏はどうか?という質問の電話がありました。Chromebookのことも含めていろいろ問われました。お昼のマナーについても、どんな様子か問われました。そのお昼についての私の話に驚かれていたのが、私には逆に驚きでした。私の答えは、きちんと前を向いて黙食しているという単純な答えなのですが、電話の校長先生が驚いているので、それから私は意識をするようになりました。

そんな電話の後でしたから、私はある日、6年生の教室の様子を見てジーンと来ました。昼休みの開始後間もなくの時間帯と、・・・そうです、生活委員のちょうど放送が流れる前後と昼食の時間も半ば過ぎ12:40近かったと思いますが、2度。

ところで、委員の皆さん!毎日とても良いメッセージで、先生方は感心しています。ありがとう。それで、そんな話も電話の校長先生に話しました。こんなメッセージがあったとか、こんな風に調べて呼び掛けているとか、電話の校長先生は驚いていました。

さて、6年生の様子の続きですが、・・・昼食の摂り方はどの学年も同じですが、…自宅からのお弁当の生徒もいれば、食堂のお弁当の生徒もいる。今年も食堂の利用ができなく不便をかけていますからね。6年生も同じで全員が教室で食べるわけです。しかし、それぞれのお弁当の事情があるので、食事を始める時間もまちまち、終わる時間もまちまち…ですね。持参のお弁当で早く食べ始められる生徒もいれば、食堂のお弁当を受け取ってくるので、順番によっては遅くなる生徒もいる。

しかし、そこはさすがに6年生です。黙食ですから当然黙って食べるのですが、本当に、皆がきちんと自分の席に着き、前を向いて始める、食べる、待つ。6年生は昼の終礼もあるので、食べ終わっても教室には居ますが、それぞれの昼食をそれぞれのペースで食べて…それで終わっても…黙って座って待っている…そんな光景です。皆さんは慣れてしまって当たり前かもしれないけれども、電話の話で意識をすると、とても感心する光景なんです。

食べるのはバラバラに始まり、終了もバラバラの中で、誰が言う、誰が指示するというわけでもなく、みんな静かに前を向いて「黙食」が始まり、「黙食」が続き、大半の人が食べ終えていても、きちんと皆が食べ終えるまで黙ったままが続く。

終わった人はというと、ある人は参考書を読み、ある人は窓の外をボーッと眺め、ある人は机の天板と頬が仲良しになり、ある人はじーっと、他の生徒の食べるのを見ている…なんとのどかな風景か…。当たり前のようで、当たり前ではない光景なんです、これが。

「誰が言う、誰が指示するというわけでもなく…」と言いましたが、6年生の先生は打ち合わせ等もあって、担任の先生が必ずしも毎日、昼休みは最初から教室にいるわけではない。しかし、ここです、立派なのは。6年生はもう大人です。先生方は6年生のマナーを信頼し、自信をもっているからなんですけれど、そうなっているんでしょう。・・・あるいは6年生の皆さんが、密かに肥田真由美先生、学年主任先生が怖いからかもしれませんね。

誰かの指示や命令からではなく、あるいは、教員がそこにいるからというわけではなく…黙食…よいマナー。この自然さがいいでしょう。素晴らしいことだと思いませんか?これは、すがすがしい格好の良さだと思いますよ。

私は、とても6年生の皆さんが誇らしくなりました。英語では、I am proud of your manners. あるいは、I take pride in your manners. って言うと思いますが、この時は、私は教職員全員で、We are proud of“you”だと思いました。マナーだけのことではなくて、あなた方…です。

6年生の皆さんは、誇ってください、自分自身を。そして、1年生から5年生までの皆さんも6年生を立派な先輩として誇ってください。人生の中でもとても貴重な5年、6年の2年間を、高校2年、3年の2年間を、こんなコロナ禍にあってもしっかりと人生の次のステップを見つめながら、落ち着いて過している6年生を誇りに思いましょう。

さて、夏休みです。今年は、色々な講習授業が学校で開かれます。あるいは、参加が指名されている講座や先生方の特別開講での講座もありますが、この夏は、是非とも、皆さんそれぞれが、勉強に励んでほしいと思います。私は、めったに勉強しなさい、とは言いません。それは、言っても、何にもならないし、言われる側の不快な気持ちは、私も理解できるからです。ただ、この夏は、平和を是非考えてほしいという気持を以って、勉強に励んでほしいと言います。

6月23日の高校生対象の礼拝で、沖縄の「慰霊の日」についての話をしました。日本の法律による休日ではなく沖縄県の条例で、学校や役所などの公的機関が休みになる沖縄だけの休日です。簡略版はHPの「校長のつぶやき」の57号に載っています。簡略版ではカットされていますが、「鉄血勤皇隊」について話しました。少年戦闘部隊です。

沖縄については、「ひめゆり学徒隊」の方が知られているように思いますが、「鉄血勤皇隊」も悲惨な運命を与えられました。鉄の血、天皇に忠義を尽くすと書いた「鉄血勤皇隊」。14~16歳の生徒による少年兵部隊です。沖縄本島の中学校から2000名近い中学生が第二次大戦末期の沖縄戦のために招集され編成された少年兵部隊です。激しい沖縄戦。空からは鉄の雨…。銃弾の嵐の中で約半数が戦死しました。

その一週前の6月17日は、日本バプテスト同盟杉並中通教会のマ・キン・サンサン・アウン牧師をお招きしてお話を聞きました。「皆さんはリュックを背負っていますが、飛行機で7時間半のところでは、…」と始まったお話しでした。

「ミャンマーはインターネットが遮断されている。状況は悪化している。学校や教会が焼かれている。村落が丸ごと焼き払われてしまう。集まっただけで連行される。銃撃されるのは当たり前。国営テレビで放映する映像の残忍さ。でも、ミャンマーの若者たちは、軍の不当な弾圧に対して民主主義への良心の叫びをあげている。そのたびに不当に連行され、無残に、冷酷に殺されてゆく。」とても悲しいお話しで、私は涙が止まらなかった。

サンサン・アウン牧師のお話、説教題は『私にできること』でした。できることとは、「今の現実を知ること、ミャンマーの若い人たちが願っていることを忘れないでほしい」と話されていました。私たちは、平和な未来を、平和な社会を創る責任があります。

コロナ禍で不自由です。制限があって部活も合宿ができない。大会も演奏会も制限がある。しかし、皆さんには、明日を考える自由があります。そして、明日を夢見て、見上げることができる空がある。

皆さんの夏が、皆さんそれぞれの夏になりますように。考えながら歩みたい、見つめながら過ごしたいと思います。健康と安全に気をつけてください。よい夏休みになりますように。

一学期を終業します。