みことばを心に(10)

掲載日:2020.04.23

「あの方は復活なさって、ここにはおられない」

マルコによる福音書16章1節~7節
宗教主任 伊藤 多香子

礼拝堂の正面に十字架があります。イエス・キリストはこの十字架にかかり死んでしまいました。その2日後(日曜日)の朝、イエスの遺体に油を塗りに行くために3人の女性が墓に向かいました。驚いたことに墓は開けられており、そのうえ中にイエスの遺体がありませんでした。そこに立っていた見知らぬ一人の若者が「あの方は復活なさって、ここにはおられない」と言います。事態を受け止められない女性たちは逃げ帰り「誰にも何も言わなかった」と聖書に書いてあります。もしそれが本当なら、イエスの復活を誰も知ることがなく、キリスト教は存在しなかったでしょう。しかしキリスト教は誕生し、今も存在します。ということは、彼女たちがこの「復活」の出来事を誰かに伝えたのだと考えられます。彼女たちは「復活」をどのように受けとめたのでしょうか?

「復活する」という言葉には、もともと「立ち上がる」とか「起き上がる」という意味があります。それは次の動作をするためにとる行動で、必要なエネルギーが蓄えられていなければ立ち上がれず、次の行動に移れません。イエスが「復活した」ということは、イエスは立ち上がり、次の動作に移ったということです。しかし女性たちは、イエスにそういう力があることを知りませんでした。3日前に、信頼していたイエスがこの上なくみじめな死を遂げるのを見て、イエスも自分たちも、すべてが「終わった」と考え、心の中には大きな穴が開いてしまったようで、これから何をしていいのかわかりません。次の一歩を踏み出す力はありませんでした。

このような経験を、皆さんはしたことがありませんか。自分の信じていた明日が突然違った明日になった時、もっていた大切なものや時間、居場所を失った時に、心の中に空いたように、力が入らなくなってしまうことです。環境の変化に自分の心が追い付かなくて、大切なものを失ったような喪失感に苦しむのです。次の行動をとろうと思っても、そのエネルギーがどうしたら得られるのかわからず、いつまでもいつまでも同じところにとどまって前に進めなくなってしまうのです。

イエスの「復活」は、イエスご自身がいつまでもみじめな姿のままでいることをなさらず、次の一歩を踏み出されたことによって、人々を立ち上がらせる力を備えていました。いつまでも同じところに立ちどまって進めなくなっている人の背中を押す力を持っていたのです。それは、十字架の出来事の意味、イエスの生涯についてよく知ることによって理解できます。イエスがその生涯を通して示されたのは、ご自分の命を懸けてまで守ろうとした「命」があること、その「命」がどのような困難にあっても孤独に苦しむことはないことです。「復活」されたイエスは、死という絶望の中にあったとしても、次の一歩を踏み出す力があることを示されたのです。女性たちは、おそらくしばらくしてから復活によってイエスが信じられない力を与えるお方であることと、自分たちへの愛に気づいたのでしょう。それが力となって、心の穴はふさがれ得て新たな一歩を踏み出しました。

イエスはいったい何者なのか、その本当の姿、愛の深さを学ぶとき、あなたも復活の力を得ることができます。聖書の学びを深めることによって。早く聖書の学びを共にしたいですね。

祈り:どのような時でも共にいてくださる神さま、どうぞ世界をお守りください。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

イースターについて

4月12日は、イースター(イエスの復活をお祝いする礼拝)でした。これは十字架で死んだイエスが3日目に復活したという出来事を記念するキリスト教の祝日です。毎年春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日と決められています。卵にきれいな色を塗ったイースターエッグを食べたり、百合の花を飾ったりします。本校でもイースター礼拝をささげる予定でしたが、今年はHPでともにみ言葉に耳を傾けましょう。