校長のつぶやき(71)2学期始業式メッセージ


掲載日:2022.08.29

見よ。わたしは新しいことを行う。今や、それは芽生えている。
あなたたちはそれを悟らないのか。 わたしは荒野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。
(旧約聖書 イザヤ書 43章19節)

一学期終業式のメッセージは、「夏休みにはあらゆるメディアを通して未来からの風に向かって立ち、社会を眺めてみましょう。」と結びました。自分の進路を考えるということは将来を考えること。考える上で重要なことは、日本だけを見て経験や感覚だけで考えるのではなく、世界や社会の変化を眺めながら考えるということ。そして、誰もが平和を望んでいて、平和な新しい未来をつくる責任と義務は誰にもある。実は、そこに学びのきっかけもある、と話しました。

未来を見据えて考えるという観点。このことへの意識の違いが、10年後の自分、20年後の自分、30年後の自分の道を大きく左右します。実際に30年前の過去と今を比べると、大きく時代が変わりました。社会が変わった。その意味は、社会を経済的に牽引する産業の構成、構造が変わったということです。私は、変化の中でも変わらずに存在する学校という職場から、激動の波にさらされた人々の人生を目の当たりにしているがゆえに感じることでもあります。

日本をとりまく国際社会や日本の社会の変化、地球の異常気象による災害などの地球の環境問題などは知れば知るほど気が重くなります。確かに、いま世界はいくつもの重い問題に直面しています。そしてどの問題も、解決するには世界の国々のそれぞれのエゴや利己心ががっちりと絡み合う難しい問題です。

日本はどうでしょう。日本は間違いなく人口の収縮に向かいます。未来は、国際化の荒波が日本を飲み込んでいきます。海外に進出している日本の企業の人材採用は、現地採用が当たり前に圧倒的になり、また、もしかすると、ひょっとすると、その企業の日本国内拠点での採用ももっと国際化が進み、社内の公用語は日本語以外の言葉も普通になる・・・ということも想像すべきです。

また、日本はこのままでは近未来に間違いなくエネルギー問題と食糧問題に直面します。どちらも自給できない国、日本です。エネルギー源の石油・ガスと食料の安定的な確保は世界情勢の変化に左右される・・・ということがニュースを聴いていれば小学生でもわかるくらいに、深刻さが増してきています。ロシアのウクライナへの侵略戦争で明確にされました。

世界は今、安定的なエネルギーの確保と同時に地球環境の保全の問題を表裏一体で考えなければならない状況にあります。解決策として脱炭素の取り組みがあります。特に「水素」が注目されています。しかし、もう一つの解決策として、再び原子力発電への依存に戻るという動きも起こってきています。日本は科学技術立国です。そうした中、いま、静かに着目されていることがあります。

一つの例ですが、その原子力発電に関して、これまでのところ日本がわずかですがリードしている技術があります。知っている人もいると思いますが、原子力燃料のウランの確保への新技術の開発です。二酸化炭素排出量ゼロで、安定した高出力の原子力発電の燃料はウラン。そのウランの国際情勢に左右されない確保のための技術の研究が進められています。ウランが無尽蔵にあるという海。海水から取り出す技術開発が進んでいます。この研究は、2011年の3月11日の東北大震災での福島原子力発電所の事故以来、あまり積極的には行われて来てはいません。ニュースにもほとんどなっていません。しかし、海水の中に無限にあるウランを効率よく収集できれば、日本はエネルギー確保で石油や天然ガスにほとんど頼ることが無くなると期待されています。その技術研究で、日本はわずかですが諸外国より進んでいる。そして、もう一つ電気に絡んでは、世界の中で静かに先進的地位を保っているという電池の技術。また、今日は紹介しませんが、農業もです。スマート農業は、休耕地などの再活用で盛んになる可能性が大いにあります。そうした新しい動きに関連する他の分野の職業としての発達も期待されます。

ですからこれだけを見ても、学びのチャンスがあります。だから、よく社会を眺め、自分の興味と未来社会とを関係させて考える、自分の学びを起こす、積極的な主体性が大事です。世界の出来事や日本の社会の抱える問題を受け身で考えるのではなく、積極的にそれを能動的に学びのきっかけにできないかと考えることが大切なのです。

「あなたには何ができますか」と問われると、「何もできないよ」と悲観的な気持ちになるかもしれません。しかし、社会をよく見て、自分を最大限に活かすことを考えましょう。それは利己主義ではありません。恐れずにためらわずに、自分の可能性を探ること。自分がやりたいと思うことを、それが社会の中の何に関係するのか、何に結びついているのかについても考えながら、前進させることです。それに向かって進むことが少し難しくても進むことです。社会に結びついていないものはありません。必ず、他の人の役に立っているということをしっかりと意識することが重要です。・・・そして、これを楽しく考えることが大切です。

何かにつまずくことがあっても、そこで自分は無力だとか、小さいとか、一人では何もできないとか、役に立たないとか考えてはいけません。ダメです。
*あなたは何故ここにいるのですか?
・・・そこに必要とされたからです。
*あなたはどうしてここにいるのですか?
・・・神様に導き出されたからです。

自分が自分を用意したのではなく、神様に用意されてここにいるのです。だから、与えられた自分の可能性を恐れずに探ること。自分がやりたいと思うことを与えられたこととして純粋化すること、素直に追い求めること。あなたは神様に用意された人で、自分を最大限に活かすことが本当のあなたの自由だということを思うこと。・・・これが未来に向かう上での大事な意識です。

皆さんは、未だ来ていない、大きく変化する「未・来」の社会に生きていきます。それだからこそ、学ぶ。何を、どこで、どんな風に学ぶのか。大きく、広く、深く、これまでにない考え方で、新しいやり方を考える。これまでの生活や学習の領域を見直す。こぢんまりとした展望は捨てる。これまでの大人たちが持てなかった、あるいは、これまでは持つ必要が無かった「視野の広さ」で展望する。そして、その広い視野でチャレンジする気持ちを奮い起こす。この気力です。

さあ、2学期です。4月から5カ月が過ぎました。一年のカレンダーでは、2022年はあと4か月となりました。歩み出します。慌てることなく、ただし、無駄に躊躇したり、考えることを止めたりしない。考えることが難しくても、考えることを止めない。歩み出しましょう。