校長のつぶやき(56)「ミャンマーの若者たち…花の日礼拝」


掲載日:2021.06.19

校長のつぶやき(56)「ミャンマーの若者たち…花の日礼拝」

6月17日。花の日礼拝は、途中でハンカチを離せなくなりました。礼拝堂の前の方には中学1年生の生徒たち。私はこの2年ほど最後列の席に座っていますが、真剣に聞き入る生徒の邪魔にならなくてよかったと思いました。

日本バプテスト同盟杉並中通教会のマ・キン・サンサン・アウン牧師をお招きして奨励をお願いしました。「朝、駅から歩いて来る時、皆さんが歩いている姿を見て嬉しく思いました。そして悲しくも思いました。お友達とお話しながら歩くことが普通にできている…。いま、ミャンマーはインターネットが遮断されています。状況は悪化しています。」

学校や教会が焼かれている…村落が丸ごと焼き払われてしまう…集まっただけで連行される…銃撃されるのは当たり前…国営テレビで放映する映像の残忍さ。しかし、ミャンマーの若者たちは、軍の不当な弾圧に対して民主主義への良心の叫びをあげている。そのたびに不当に連行され、無残に、冷酷に殺されてゆく。しかし、前に出てゆき、なおも主張することを止めない。若者たちの固い信念と熱い思い、そして…素朴な希望。

「暴力や武器によって押さえつけられるのは自分たちの代で十分だ」、「次の世代に残したくない」と語る健気さ。「立派な家などいらない、眠る場所が欲しい」、「…銃声の聞こえない場所、逃げなくていい場所をつくってほしい」、「おいしい料理はいらないから、白いご飯が食べられればいい」…それはあまりに悲しい希望です。

「皆さんはリュックを背負っていますが、飛行機で7時間半のところでは、子どもたちは銃をとるようになっています」。……涙がにじんで、流れました。

花の日礼拝、説教題は『私にできること』です。読まれた聖書は、ルカ10章の「善いサマリヤ人」の箇所でした。私たちに何ができるのか。私に何ができるのか…。「今の現実を知ること、ミャンマーの若い人たちが願っていることを忘れないでほしい」。悲しく、辛い。

礼拝の後、軍による圧政下のミャンマーで受けた教育についてうかがいました。アウン牧師が日本に来たのは1988年、高校1年生の時でした。

それは独立以来3回目のクーデターの後。クーデターで小学校から高校まで全ての学校が閉鎖された。日本に来て日本語を学び、日本の高校卒業資格認定試験に合格。生きるためにいろいろな職業を経て現在の牧師職。

「当時のミャンマーでは、学校で感想文を書くという教育を受けたことがない。自分の思っていることなどは書かせない。すべてが、覚えて答える、覚えて答える…それ以外はない教育だった。考えない国民をつくること、考えさせないことが重要だった。自分の考えを話すことが難しかった。でも、今のミャンマーの若者は訴えている。みんなに知ってほしい。皆さんに祈ってもらいたい」。

おりしもその夜、試合のTV中継で三本指を立てたサッカー選手が関空で出国を拒否、帰国をしなかったというニュースが流れました。