受験生の皆さんへ/to Student

校長メッセージ(3学期始業式)

校長メッセージ(3学期始業式)

 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

(マタイによる福音書6章25節~29節)

いのちより大切なもの


河合輝一郎

 昨年の12月末、クリスマスの準備に追われてバタバタしていた時に一冊の本が贈られてきました。星野富弘さんの『いのちより大切なもの』(いのちのことば社)という絵本です。星野富弘さんについてはすでに知っている人もいると思います。星野さんは中学校の体育の先生でしたが、授業の時生徒たちの前で宙返りをした時に首から落ち、首から下の運動機能を失ってしまいました。失意の中にあった星野さんでしたが、キリストとの出会いを通して、唯一動かすことができる口に筆を加えて絵を描き、それに詩を書き添えました。その作品は多くの人々に感動と生きる喜びを与えています。
 本を広げてみると最初のページに「小さな花からのメッセージ」というエッセイが書かれています。外気の温度を感じることができない星野さんにとって、ここ数年の夏の暑さと冬の厳しい寒さはかなり堪えているという記事の後に、2011年3月11日の東日本大震災のことが書かれていました。地震の激しい揺れに車椅子が倒れるのではないかという恐怖を感じたと彼は言います。テレビをつけると、家々が次々と津波に呑まれていく凄まじい光景と叫び声、映画の一場面のような映像に「こんなことが本当にあっていいのだろうか」と瞬きを繰り返したそうです。今まで心の奥に積み上げてきたものが次々となぎ倒されて行くそんな感じを持った彼は、その後しばらくの間、自分が書くものなどあまりにもちっぽけで、何の意味もないように思えて、何も手につかなくなってしまったと告白しています。創作意欲の根元まで根こそぎさらわれてしまったような衝撃をこの津波は星野さんに与え、打ちのめしました。
 しかしある日、津波にさらわれて家の土台しか残っていないどこかの街の瓦礫の間に、枝が折れて倒れるように曲がっている一本の木があり、その枝の先に花が咲いていて、その木のまわりに津波で肉親や家を失くしたであろう人達が、まるで希望の光を見つけたように佇んでいるのを彼はテレビで見たのです。その一本の木が、なにもできないでいた星野さんに「もう一度やってみよう」という力を与えました。「今まで花を描いてきて良かった。小さな私だけれど、あのように人の心に希望をもたらしてくれる花を、これからも描いていこう」と彼は思ったそうです。
 津波で枝が折れてボロボロになってしまった木は、大けがをして病院のベッドの上で虚ろに天井板を見ていた、かつての星野富弘自身の姿でもあったわけです。
 星野さんが書いた「愛、深き淵より」という作品があります。その中で彼は次のように言っています。

 私は今まで死にたいと思ったことが何度もあった。けがをした当時はなんとか助かりたいと思ったのに、人工呼吸がとれ、助かる見込みがでてきたら、今度は死にたいと思うようになってしまった。動くことができず、ただ上を向いているだけで、口から食べ物を入れてもらい、尻から出すだけの、それも自分の力で出すことすらできない、つまった土管みたいな人間が、果たして生きていてよいのか。舌をかみ切ったら死ぬかもしれないと考えたりした。食事を食べないで餓死しようともした。が、はらがへって死にそうだった。死にそうになると生きたいと思った。母に首をしめてもらおうとも思ったが、母を殺人犯にさせるわけにはいかなかった。

 けがをした日を境に夢も希望もすべてなくして、絶望状態にあった彼でしたが、ある日大学の先輩が入院している病院に駆け付けてくれて「ぼくにできることは、これしかありません」と言って一冊の聖書を置いて行ったそうです。

 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」

(マタイによる福音書11章28節・新改訳)

 この言葉に出会って星野さんは「いのちより大切なもの」があることを知りました。それがこの絵本の題にもなっている次の詩なのです。

  いのちより大切なもの
   いのちが一番大切だと
   思っていたころ
   生きるのが
   苦しかった

   いのちより
   大切なものが
   あると知った日
   生きているのが
   嬉しかった

 この詩は1986年に書かれたものです。この詩を発表してから多くの人から「いのちより大切なものとは何ですか?」と良く聞かれたそうです。しかし、2011年3月11日の東日本大震災以降、この質問をする人がいなくなったと彼は言います。あまりにも多くの方がこの震災で亡くなったからです。もちろん、いのちより大切なものはありません。いのちはかけがえのない大切なものです。しかし津波が迫る中、水門を閉めに津波に向かって走って行った人、人の波に逆らうようにして「津波が来るぞ」と知らせ回った人がいました。その人たちは皆、自分の命より大切なものに向かっていった人であると星野さんは言うのです。「いのちより大切なもの」皆さんは何だと思いますか。
先ほど読んでいただいた聖書の言葉を思い出して下さい。「思い悩むな」とイエスは言います。「自分のいのちのことで思い悩むな」と言いています。なぜでしょうか。神様は空に飛ぶ鳥や、野に咲く小さな花にさえその小さな命を支えて下さっている。ちっぽけに見える小さな花であっても花は力強く生きている。その恵みをまず感じることなのです。だから「思い悩まなくていい」のです。ボロボロになっていても、神様はちゃんと生きる筋道を整えて下さっている。だから、自分に与えられたいのちを精一杯生きること、それが私たちに与えられている最も大切なことなのです。最後に星野富弘さんの「つばき」という詩を紹介してお話を終えたいと思います。

  つばき
   木は 自分で
   動き回ることができない
   神様に与えられたその場所で
   精一杯枝を張り
   許された高さまで
   一生懸命伸びようとしている
   そんな木を
   私は 友達のように思っている

 3学期が始まりました。4月になれば皆さんはそれぞれ進級します。自分に与えられたいのちを大切にしながら、もうひとつ、いのちより大切なものをぜひ見つけてほしいと思います。