保護者の方々へ/to Parents

校長メッセージ(2015年度入学式)

2015年度入学式における校長からのメッセージです。

やさしい春の陽射しの今日、新たな気持ちを胸に、ここにいる168人の新入生の皆さん、入学おめでとうございます。 

ご父母の皆様、保護者の皆様、お子様のご入学にあたり、教職員一同心からのお慶びとお祝いを申し上げます。

新入生の皆さん、人生には大きな節目がいくつかあります。幼稚園に入園する時の節目。そして、卒園し小学校に入学する二つ目の節目。そして今日、小学校から関東学院六浦中学校への入学、三つ目の節目。

皆さんの今日の節目には様々な思いがあることを、迎える私たち教職員の全員がよく知っています。しかし、ここにいることは、まさに神様からの意思であること、あなた方が神様によって選ばれてここにいる、と私たちは確信しています。

皆さんの新しい人生の1ページをここで、それも、心も体も最も大きく成長し、社会人になるための備えをする最も大切な時代としての1ページを、関東学院六浦で過ごすことは、皆さんの一人一人への、神様からの最高の贈り物と思っています。

関東学院六浦は、初代学院長の坂田祐先生が校訓として掲げたキリストの教えに立っての「人になれ 奉仕せよ」を、いつも心にとめて教育を展開しています。本校の卒業生の全員が、この「人になれ 奉仕せよ」を心の深くに留め、この言葉に誇りを抱いて、社会に貢献しています。

たしかに、この言葉はとても美しい。しかし、この言葉は、言葉の美しさとは正反対に、とても難しいことを意味しています。人類が平和に繁栄し、人々の営みが本当に幸せなものになるようにと願う言葉であり、また、そのための実践や行動を促す言葉です。ただ、平和や幸せの増進になかなか向かうことができない難しさがあります。

2014年世界中が様々に悲しいことを経験しています。本当に神様がいるのなら、なぜこんなことが起きるのかという思いもあります。しかし、私たちが、世界の人々が、大きく勇気を与えられた素晴らしい出来事がありました。

皆さんは、ノーベル平和賞を受賞した、パキスタン出身の今年18歳になる女性、マララ・ユースフザイさんを知っていますね。マララさんは、15歳の時、テロ行為の被害者になりました。スクールバスでの登校途中で襲撃されました。彼女は頭と首に銃弾を受け重体となりました。

マララさんの暮らす地域は、彼女が10歳の時、パキスタン・タリバンによって突然テロの舞台となりました。400以上の学校が破壊されました。日本の社会では到底信じることができませんが、パキスタン・タリバンに支配されたその地域では、女子児童と女子生徒は学校に通うことが禁じられました。女性が教育を受けることは「赦されない罪」とされました。罪のない人々が殺されました。過激派組織による、全く理不尽な犠牲でした。

マララさんは11歳の時、イギリスBBC放送のブログに投稿しました。ブログでは、女子の通う学校へのタリバンによる破壊攻撃を批判しました。女子への教育が必要であることを世界に語りかけました。その後、メディアを通して平和と教育の必要を訴える活動を続けました。 

このことでマララさんは、命を狙われる対象となったわけです。そして4年後の2012年10月、15歳の時に銃撃されます。事件の直後、世界中がパキスタン・タリバンを非難します。世界は、彼女のそれまでの勇気ある行動を称え、その地域のための女子教育復興の資金提供が起こりました。マララさんへの事件を通して、自分たちの権利のために戦う勇気ある少女の行動と、そしてその訴えである「教育を受ける権利と必要性」が、あらためて世界に強く伝わりました。

マララさんは重体でしたが奇跡的に快復し、2013年、16歳、国連から誕生日の7月12日をマララ・デーと名付けられました。2013年7月13日、マララさんは国連で演説をします。朝日新聞デジタル版からその一部分を紹介します。

「親愛なる少年少女のみなさんへ、つぎのことを決して忘れないでください。マララ・デーは、私一人のためにある日ではありません。今日は、自分の権利のために声を上げる、すべての女性たち、すべての少年少女たちのためにある日なのです。

何百人もの人権活動家、そしてソーシャルワーカーたちがいます。彼らは人権について訴えるだけではなく、教育、平和、そして平等という目標を達成するために闘っています。

何千もの人々がテロリストに命を奪われ、何百万もの人たちが傷つけられています。私もその1人です。そして、私はここに立っています。傷ついた数多くの人たちのなかの、一人の少女です。

私は訴えます。自分自身のためではありません。すべての少年少女のためにです。

私は声を上げます。といっても、声高に叫ぶ私の声を届けるためではありません。声が聞こえてこない「声なき人々」のためにです。

それは、自分たちの権利のために闘っている人たちのことです。平和に生活する権利、尊厳を持って扱われる権利、均等な機会の権利、そして教育を受ける権利です。」

そして昨年、2014年、マララ・ユースフザイさんがノルウェーのオスロでのノーベル平和賞の授賞式で語った言葉の中には、「私たちの美しい夢は、悪夢に変わった」とあります。次の様に語っていました。

「私たちは教育を心から求めていました。私たちの未来はまさに教室にありました。私たちは一緒に座り、一緒に本を読み、一緒に学んできました。私たちはきれいな学校の制服を着るのが好きで、教室の席に座って、未来を夢見て、大きな夢をもっていたのです。私たち女の子は皆、学校で学ぶことを両親に誇りに思ってほしかった。私たちも勉強で秀でて、いろいろなことを成し遂げられると証明したかったのです。男の子にしかできないと思っている人もいますから。しかし教育は、そのとき権利から犯罪へと変えられてしまいました。

しかし、私の世界が突然変わった時、私の中の優先順位も変わりました。私には二つの選択肢がありました。一つ目は、黙って何も語らないまま殺されるのを待つこと。二つ目は、声を上げて殺されることでした。私は二つ目を選びました。声を上げることにしたのです。テロリストは私たちを止めようとして、2012年10月9日に私と私の友達を襲撃しました。でも、彼らの銃弾は勝てませんでした。

この賞は私だけのものではありません。教育を求める、忘れ去られた子どもたちのためのものです。平和を求める、おびえた子どもたちのためのものです。変革を求める、声なき子どもたちのためのものです。

私は子どもたちの権利のために立ち上がり、子どもたちに声を上げてもらうためにここにいます。今は彼らを哀れむときではありません。教育を奪われた子どもを目にするのが最後となるよう行動に移すときなのです。」

マララさんは演説の中で、これらの強い気持ちの原点を、自分の生活の経験の中から絞り出そうとするのがうかがえます。心からの声として、噛みしめる様に、簡潔ですが重く含みを持つ英語で、

 「Education is one of the blessings of life and one of its necessities.
That has been my experience during the 17 years life.」 と語りました。

教育は人生の中に与えられた大きな恵みで、人生に欠かせないものです。

これは私の17年間の人生を通す経験で分かったことです。

自分の信念に掛けて何かをしようとするとき、あるいは、それを成し遂げようとするとき、社会の情勢によっては、それは命を賭けること、命を失ってしまうかもしれないことであることは、多くの歴史的事例が示してきています。私たちは歴史の勉強の中で知ります。しかし、マララさんの年齢と事件の重大さを考えると、純粋に訴える言葉の重さに心を打たれます。

今日、私が皆さんと分かち合いたいことは、苦労をせずに学べる環境が与えられた私たちにとって、学ぶとは何か、学ぶということがどういう価値を持つことなのかを、あらためて考えたいということです。当たり前の中にあって、学校とは何?と考えることほど難しいことはありません。私は教師として、マララさんを通して学校とはどういうところであるべきなのかを、根本的に考えさせられました。自分の命を賭けてまでも、守るべき権利であることを心の底まで知らされました。

マララさんの父、ジアウディン・ユースフザイさんは、衛星チャンネルのTEDのスーパープレゼンテーションに登場しました。次の様に語っていました。

「多くの先進国では 当たり前のことかもしれませんが 貧しい国々や 家父長社会や部族社会では、 学校に通学し学ぶことは女の子にとって一大事です。 学校に通えるということは 自分のアイデンティティや“名前”(を持つ存在であること)を認めてもらえることです。学校に通えるということは、将来のために、自分の可能性を探せること。夢や希望をかなえる場所に足を踏み入れるということです。」と語っていました。

学校は夢や希望をかなえる場所であること、あらためてこのことを新入生の皆さんとともに、この入学式の日に、人生の三度目の大きな節目に、一緒に考えたいと思います。

マララさんの父ジアウディンさんは教育者で、地域の子どもたちの教育の権利を守るために奔走してきた人でもあります。ジアウディンさんは、次のようにも語っています。

「マララみたいに強くて、勇敢で雄弁で、落ちついた子供の育て方の秘訣を聞かせてください、と質問されます。が、私の答えはこうです。『私が何かをしてあげたのではなく、あることをしなかったことです。 彼女の“翼”を切り取らなかった。それだけです。』」

これは、私たち教員と保護者の皆さんで考えたいことです。時代が激しく動き、少子化の進行とグローバル化が進む時代の、私たちの社会の中の教育のあり方に照らしてみれば、学校で学ばせることの意義と意味を、あらためて考えなければならないテーマにも聞こえます。

新入生の皆さん、関東学院六浦は、予め皆さんの人生の中に、学ぶべきことを学ぶために用意された学校です。

くしくも昨日は、キリスト教にとってクリスマスと同等に、私たちにとってのキリストの意味を示すイエスの復活の日。人間の欲望と罪とによって十字架上に殺されたイエス・キリストが死後3日目に蘇ったことを記念する日でした。あらためてキリストの蘇りに接し、意味を深く考える日でした。

皆さんが関東学院六浦中学校で、新しい生活を考えるとき、あらためて新しい環境で学ぶことの意味を考え、見つめるべきものをしっかりと見つめ、自信と勇気、夢をもって、着実に学校生活を始めてほしいと願います。

これをもって、入学式の式辞とします。

2015年4月6日

関東学院六浦中学校・高等学校  校長 黒畑勝男